シャニマスコミュの感想文

シャニマスコミュの感想文中心にアイマス関連の感想を書き連ねるブログ

ストーリー・ストーリー ダシがしみとらんかった人間の感想

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この記事はイベントコミュ「ストーリー・ストーリー」および【おはようと日向に手を振る】三峰結華 のネタバレを含みます。

また、個人的な解釈に基づく感想になりますのでご了承ください。

 

皆様こんにちは。ダシがしみとらん人です。

 

結華Pを自称する私が待ちに待った、三峰結華にスポットを当てたイベントコミュ「ストーリー・ストーリー」が始まりました。結構前に。

いや〜…スプパ2nd中止でボロボロだったところに色々複雑な感情が叩きつけられて、自分の気持ちを整理するのがこんな時期になってしまいましたが…

早速ですが、ストーリー・ストーリーがいかに素晴らしかったかの話をさせていただこうと思います。

 

今回は「涙」を売りにした、ひとつ屋根の下で暮らす姿をバラエティにする、ちょっと悪趣味とも言える番組企画。

元ネタは最近話題になってしまったアレですね。公開当時はもちろんそれ以前なので、本当にタイミングが…となってしまいますが…

楽しく暮らし始める五人。それと並行して、アンティーカのリアルな事情が絡んできます。

試験を控えた咲耶・霧子・摩美々の高校生組と、舞台やドラマの大きな仕事が控えている恋鐘・結華のお姉さん二人。お互いがお互いを支えたい、でも気を遣わせたくない「思いやり合い」のすれ違いが、このお話の序盤を動かしていきます。

 

清く正しいだけじゃない、したたかなアイドル

ストーリー・ストーリーの第三話では、高校生組がお姉さん組の為に少しでも視聴率を稼ごうと奮闘し、自らコントシーンを撮影します。ちなみに私はここの霧子がツボにはまりすぎて笑いすぎて死ぬかと思いました。

ここ、結構純粋に笑いのクオリティがなかなか高いと思うのですが、番組側は理にかなった指摘でばっさり切り捨てます。ひえ〜シビア……

 

ここで私が驚いたのは、彼女達が「自分達が売れる為にはどうすればいいか」を考え、自ら行動したことです。

これ、普通に考えると割とタブーな描写だと思うんですよね。

アイドルは笑顔で一生懸命な姿が一番の魅力、人気は後からついてくる。わざわざ媚びなんか売らなくても、自分のやりたいことをやっていれば、天賦のカリスマで周囲は魅了される。

売れる為にはどうすればいいか考えて行動するなんて打算的な姿、性格が悪く見えるしアイドルとして格が落ちるから、見せちゃダメ!※ただしそれをキャラ要素にしてるアイドルは可

ってなりそうじゃないですか。

それを、霧子のような純粋なキャラや、咲耶摩美々のように人を惹きつけるカリスマ性を持つキャラに対してイメージを壊すことなく行動させ、努力や成長として見せてくれる。あまつさえその努力は滑って失敗する。

普段はく〜る系ぼーかるゆにっとでも、一度ステージに立てば見事なクール系ヴォーカルユニットになるアンティーカの、意外な姿。

2年目のストレイライトの登場以降、割とこういうアイドルの姿を積極的に出してくれるシャニマス君の姿勢、私はめちゃくちゃ好きです。

こういったアイドルの打算的な姿は、実はアイマスの原点、765ASの楽曲「THE IDOLM@STER」や「私はアイドル❤️」で描かれています。

うぬぼれとかしたたかさも必要

器量と才能だけで軽くこなせる仕事じゃないの だから人に見えない努力なんて白鳥並以上

はあ〜〜、好き。。。

※余談ですが、シャニマス世界ではアンティーカは各メンバーの可愛い内面と、ゴシックスチームパンクなユニットコンセプトのギャップはどう受け取られているんでしょうね。

ストレイライトのように隠している様子もないですが、作中でのお仕事はクール系をメインにしてるようなので、そこはバラドルに寄りすぎないよう露出少なめにイメージ戦略を上手く使っているのかな?

 

アンティーカの大黒柱・月岡恋鐘

その後の展開では、彼女達の意外性は編集で意図的に操作され、視聴者に対して「不仲」という偽物の物語に仕立て上げられてしまいます。

それを気にしてギスギスしてしまうアンティーカ。

感謝祭で、そして今回の前半の思いやり合いで仲を深めたアンティーカですが、お互いに通じ合っていても「編集によって仲間が誤解される可能性がある」ことは怖い。

特に三峰結華にとっては致命的だったでしょう。【それなら目をつぶりましょう】や【NOT≠EQUAL】で描いてきたように、他者にどう自分が見られるか、自分と相手との関係がどう見られるかを極端に気にする人間です。良かれと思った自分の行動が曲解されて大事な人が悪意をもった解釈をされるのは、もうそりゃ大ダメージのはずです。

恋鐘も皿を割るなどで動揺が伺えます。元々ドジ気質ではありますが、料理は得意分野のはずなのに…。

面と向かって悪意をぶつけてくる相手なら言い返せるのでしょうが、相手は個人個人ではなくSNS全体に漂うふわふわした「アンティーカへのイメージ」です。うう、辛い。

 

そんな鬱屈した空気を払うのは、我らが恋鐘でした。

「家出すっとよ!」と同時にやってくるPのお迎え。アンティーカの王子様は白馬ではなくマイクロバスでやってきます。お前マジほんとそういうとこだぞ。

ここらへん、恋鐘のコミュは〜と❤️に火をつけてを意識した展開ですね。

窮屈なところを飛び出して、どっかぐ〜〜んって行きたか〜。今度は、みんなで!

はあ〜恋鐘…お前ほんとマジで良い女だよ……

短くても長くても、いつか戻るのが家出。

これを家出同然で長崎から出てきた恋鐘に言わせるのずるいよ……。

見よ、これがアンティーカだ。これが月岡恋鐘だ。

視聴者には見られない、私たちプロデューサーだけが知っている、本当のアンティーカ。最高のカタルシスです。紛れもなく、恋鐘がアンティーカという家の大黒柱なんだと描写されます。

この後、四話・五話で消えていたラストの砂嵐と提供の演出が復活するのもまた憎い。アンティーカだ!アンティーカが帰ってきたんだ!

 

その後、霧子と結華の機転によって、アンティーカ不仲の誤解は解け、番組も成功を納めることになります。

 

メタフィクションの境目はどこか?

ところで、ストーリー・ストーリーは、「どこでカメラが回っていて、どこで回っていないのか」をあまりはっきりさせていません。コントシーンの録画のような枠はカメラ映像に収めていることを表現しているのでしょうが、各部屋の様子や作戦会議はオフレコ?と思わせつつ、結華のダメ出しがオンエアで使用されていたり。

家出シーンは明確に「カメラの外側」ですが、ラストの砂嵐とクレジットの有無も、カメラの有無というよりは「彼女達がアンティーカであること」の有無を表現しているようにも感じます。

このコミュを見ている私達プロデューサーにも、「この子たちは今、どこまでがテレビ用の演技で、どこからがリアルなんだろう?」という疑問を与えます。

先程「アイドルが打算的に奮闘する姿」に感動したと述べましたが、この面白さってまさに「リアリティ・ショー」だと思うんですよね。綺麗事だけではない、でも結局「作られた」シビアな展開に感じるリアルっぽさ。

その奮闘の表現における前半と後半の対比が面白い。

前半の視聴率稼ぎでは、高校生組の無理やり作った笑いは、番組スタッフに脚色されて「リアルだ」とウケの良いギスギスドラマとして放送されました。変に飾ろうとして失敗した話であれば、着飾らないありのままの魅力で打ち勝つ…という展開を予想してしまいたくなります。

ところが後半、彼女達は自分達で作り上げた「リアルな」物語で対抗する。でも、受験も努力もテストの結果も、物語でもなんでもなく、本当に彼女達のリアルで。

そこには嘘なんてひとつもない。

建前と本音、物語と物語じゃないものの境目なんて、それが嘘でさえないのなら、あまり意味はないのかもしれません。

彼女達は役者ではなく、アイドルだから。

生きてることは物語じゃないから。

わたしたちがわたしたちなら、ほんとは、どこにも嘘なんて…

ストーリー(物語)のストーリー(話)。

五話でカタルシスと共に復活した提供クレジットは、最終話ではありません。

もうこれは番組ではなく、アンティーカである彼女達の物語なのです。

 

アイドルマスターシャイニーカラーズのイベントコミュという「お話」でありながら、フィクションを題材にしてメタ要素を上手く使い、世界観から逸脱しずぎず、アイドルとは何か、リアルとは何かを考えさせてくれる。

読み物としてめちゃくちゃ読み応えがあり、キャラストーリーとしても各々の立ち位置を明確にする、めちゃくちゃ面白いコミュでした。

 

 

えっ、なんでダシがしみとらんの?

さて、ここで表題に立ち帰りますが。

これだけ絶賛しながら、私はおそらく、この素晴らしいストーリー・ストーリーを、心の底から純粋に楽しむことができませんでした。

なんでさ。ベタ褒めだったじゃん。

 

「俺らの三峰が絶対的センターかつリーダー」

ストーリー・ストーリーの偽物のギスギス要素を象徴した、アンティーカの何たるかを全くわかっていない、ダシがしみとらんモブのSNSの発言です。

あの摩美々が「最悪ですねー」とばっさり切り捨てたクソ野郎の発言です。

でも、私は。

あろうことか、こいつを、このダシ無し野郎の発言を、応援したいと思ってしまったのです。

 

私は常々、結華のバランスを取りたがるあまり前に出たがらない、周囲に気を遣って一歩後ろに引っ込んでしまうところを、アイドル三峰結華の悪癖と捉えていました。

実際、コミュでプロデューサーも指摘して…いたように記憶してたのですが…どのコミュか忘れてめっちゃ探したんですが見つからない……

あれー?ダンスは上手いけど少し周囲を気にしすぎだな、みたいに指摘されるコミュありませんでしたっけ??あれは夢か妄想か別キャラの話か……?

まあ…それは一旦置いといてですね。

 

応援してるアイドルには、いつかトップに立ってもらいたい。ステージの真ん中でパフォーマンスして欲しい。これはファンとして、担当プロデューサーとして、当たり前の感情ではないでしょうか。

そしておそらく、ドルオタである三峰結華自身も、それを理解していることでしょう。アイドルとしての自覚が芽生えた結華は、しばしば自分がファンだった時の気持ちを振り返って、自分がファンならどうすれば喜ぶか、その為にアイドルの自分はどう振る舞えばいいかを考えています。

もちろん私はダシ無し野郎のように、結華に恋鐘のセンターポジションを奪って欲しいというわけではありません。アンティーカの精神的支柱でありセンターは恋鐘です。ストーリー・ストーリーを経て盤石となったこのバランスは、流石の私でも譲れません。

でも。

アイドル自らが真ん中であることから退いてしまう、一歩引いてしまうことを肯定される、あまつさえ他のユニットメンバーから中心に立った時のことを「最悪ですね」と言われるのはなんか……こう……そういう意味でなくてもダメージを受けるというか………モヤモヤしちゃいましてね!?

アイドルマスターは、アイドル育成ゲームです。アイドルは皆、自分なりの形でトップアイドルを目指します。自分に自信がない子もある子も、優しい子も強い子も。

アイドルは皆がアイドルマスターであり、ガラスの靴を履いたシンデレラであり、光輝く唯一無二の色を放ちます。

センターであることがアイドルとしての優劣をつけた結果ではないのはわかります。わかってるはずです。頭では。

アイドルとしてトップであることと、ユニットの中でセンターではないことは両立します。するはずです。

摩美々が「アンティーカのセンターかつリーダーは結華」を否定したのは、結華が中心になることではなく、恋鐘と結華の混乱を招く悪意そのものです。

恋鐘が真ん中。真ん中が恋鐘。それ以上でもそれ以下でもない。他意は一切含みません。

 

これだけわかっていて、それでも何故、自分の感情はこんなにもモヤモヤしてしまうのか。う〜〜〜〜ん、まだまだダシがしみとらんのでしょうね〜〜〜。

まだまだアンティーカに対して、そして「アイドルのユニットモノ」に対しての理解が足りていない……

 

この「ユニットセンター問題」、真っ先に触れたイルミネーションスターズや最初からバチバチのストレイライト、皆がナンバーワン!の放課後クライマックスガールズはすごくわかりやすいと思います。

そもそも誰がセンター?となりがちなアルストロメリアは、意外にも「薄桃色にこんがらがって」新しい形を見せてきました。

そこに来て今回のアンティーカは、全員が迷いなく恋鐘センター支持。ぬるま湯とも捉えられかねない関係性を、それが彼女達の形なんだ!とこんなにも説得力を持って語られると、何も言えね〜〜〜。

受け取り方は人によって様々ですが、私個人にとってモヤモヤとなっているこれが「アンティーカって感じ」なんでしょうね。

メンバー全員が、どこまでも優しい。優しすぎて、人によってはもどかしさすら感じてしまう。

このもどかしさは私が悪意寄りに解釈しすぎているせいだと思うので、「優しさ故の短所」ととらえていいのか悩むところですが…

※「結華寄り」でなく悪意寄りです。同じ結華Pでも私のこのモヤモヤに全く同意できないという人が多いと思います。

 

ユニットを飛び出すアンティーカのアイドル達

ただ、アンティーカにそれをマイナスにとらえる意図はないにしても、このお話を作った人にはその意図がないとは言い切れないと思っています。

私はこの「三峰結華一歩下がっちゃう問題」のモヤモヤは、シナリオライターの意図したものではないかと疑っています。

これから満を辞して登場するのが、ストーリー・ストーリー公開時点で既に予告されていたG.R.A.D.シナリオです。

イルミネ、放クラのネタバレになりますが、今回のシナリオは「ユニットではなく一人でやっていくこと」に容赦なく切り込んでいきます。

アンティーカは既に感謝祭で、ソロ活動に対して触れる話をやりました。ソロでやることで生まれる孤独感、その孤独感が生んでしまうすれ違い、それを乗り越えた後の清々しさ。そして今回のストーリー・ストーリーでの「真ん中は恋鐘」という結論。

それらを踏まえた上での話になるであろうアンティーカのG.R.A.D.シナリオに、私はめちゃくちゃ期待しています。

ストーリー・ストーリーであえて認識させてきた「アンティーカって感じ」の側面が持つ優しいもどかしさを、離れていても気持ちが繋がる安心感を得た五人が、他者から見てどんなアンティーカでありたいか実感した五人が、もう一度ユニットを離れた時。

それをアイドルマスターシャイニーカラーズがどう料理していくのか。

灯織の清閑に息をひそめて⇄G.R.A.D.の徹底した仕込み具合を見た後だと、期待せずにはいられません。

 

とか言ってたら記事アップする前にG.R.A.D.の更新来ちゃったよぉ〜〜〜!

まだ一切見てないのでこれからやってきますけど!上で「意図がないとは言い切れない…」とかカッコつけといて、言ってること全部的外れになってたとしたらその後にこれ出すの超恥ずかしいんですけど!

どっちにしても【NOT≠EQUAL】後の待望のプロデュースコミュなんで死ぬのは必至なんですけど!!!!!

 

 

【おはようと日向に手を振る】三峰結華

忘れてました、配布カードの感想です。さくっといきます。

■自然体で、ただいま

いつも自然体ですよ!と言いながらまたまたこいつはーと思ったら、めっちゃ素出せるようになってるじゃん…泣ける…

■おかえりの前の秘密

ダシ取る姿は見られたくないんだ。というか練習したこと知られたくないんだ。なんで?

最後にめっちゃ笑顔でとってました!って、えっこれどういう…?結局摩美々はうどん食べなかったの…?

■今日はおやすみ、気にしいの私

グループチャットで送ると気を遣わせるという結華らしさ全開のコミュです。

えっ…

結華お前、まだ「そこ」なの!?

やっと「大好き」を面と向かって(チャットで)言えたレベルなの!?

こんだけアンティーカ一丸で紆余曲折苦難を乗り越えてきてんのに!?せっかく自然体でいられるようになったのにまだそこ!?

はぁ〜〜そりゃダシ取る練習するのも隠れるわ…めんどくせえ女…そこが好きなんだけどさ……

こんな遠慮しいで気にしいな繊細な子に真ん中に立つくらい前に出て欲しいなんて酷いことを言った奴がいるそうですね!

 

 

やっぱ考えるとつくづく私はダシしみとらんかったな…

G.R.A.D.やって死んでこよう。皆ものりこめー^^

シャニマスのオタクが月ノ美兎に救われた話

こんなブログ名の癖にシャニマスのコミュは全く関係ない話です。

心底ライブを楽しみにしていたいちシャニマスオタクが、ライブ中止でベコベコにダメージを受けた後、Vtuber月ノ美兎に心を救われたというだけの話です。

 

シャニマスオタクがSPRING PARTY 2020をめちゃくちゃ楽しみにしていた話

3月21日22日、アイドルマスターシャイニーカラーズは以前より、SPRING PARTY 2020の開催が告知されていました。

ここではおそらく、二週目シングルであるFR@GMENT WINGのカップリング曲が初披露となる予定だったと思います。

カップリング曲といってもシャニマスのユニット曲はA面B面ではなく両A面のようなもので、いずれも歌詞ががっつりユニットにマッチしており、A面より人気が高い曲も多いシリーズです。

イルミネの「Star n dew by me」イベントを経てエモさを限界まで高めたタイミングでの「トライアングル」

感謝祭で完成した「NEO THEORY FANTASY」と同じハードロックでありながら、より悲壮感のあるメロディでアンティーカの孤独感を表現する「ラビリンス・レジスタンス」

ただでさえ涙腺に来る郷愁を誘う曲調が「階段の先の君へ」イベント後に号泣必至となった「よりみちサンセット」

開催直前の3月10日に「薄桃色にこんがらがって」が公開され、新しいアルストロメリアの形を見せた上での「Love Addiction」

SUMMER PARTY2019で先行公開され、あまりにカッコ良い愛依ちゃんの生(ヤバい)が楽しみすぎた「Transcending The World」

前年8月のSUMMER PARTY2019から約半年間、待ちに待った期待と希望が高まりきった最高のタイミングで、これらの楽曲はライブ初披露となるはずでしたが、

SPRING PARTY 2020は、本当に残念なことに新型コロナウイルスの影響で中止となってしまいました。

 

その後3月22日に行われた2nd Anniversary前夜祭生放送では、なんとSPRING PARTY 2020で新ユニットであるノクチルが初公開される予定だったことが明らかになります。

期待と嬉しさに満たされ(隣人に配慮しつつ)絶叫しながら、

これをライブ会場で同じ気持ちのP達と見ることができたなら。

戸惑いが大きかったストレイライト発表時と違い、喜びの感情しかないP達の歓声を、最高のタイミングで企画し調整し努力の上で形にしてくれたスタッフさん声優さん達に聞かせることができたなら。

シャニマスというコンテンツが丁寧に積み重ねられてきて、それに対していかにプロデューサー達が信頼を寄せているかを、直接伝えることができたなら。

それらができたらどんなに良かっただろうかと、悔しい気持ちで涙が止まりませんでした。

ちなみに現地チケットはご用意されなかったのでLV予定でした。それでも楽しみだったんだい…

 

シャニマスオタクが2nd LIVE中止でトドメを刺された話

4月1日のエイプリルフール、ノクチルのRコミュ追加と怒涛の更新で盛り上がるも、その後に予定されていた5月2日、3日の2nd LIVEは、やはり中止が発表されました。

ストレイライト加入後、初の周年ライブ。さらには事前情報になかったノクチルの出演が予定されていたことが明らかになり、ここでも用意されていた様々な企画が流れてしまったことに、がっくりと肩を落としました。

公開された新曲「シャイノグラフィ」の歌詞とメロディがあまりにも良く、それをおそらく2nd LIVEでやるつもりだったこと、演者は先行きが不安な中準備してくれていたであろうに、この完璧なタイミングで聴けなかったことによる無念が追加され、聴くたびにボロボロ涙が出ました。

こっちはCD積んで現地ご用意されてました。なので被ダメージ倍増。

 

さらには自粛要請により、それ以降の生放送が中止。

記念すべき412の日の生放送も中止となり、新シナリオ「G.R.A.D.」発表や新ガシャなど、数々の重大情報はTwitterで公開されるだけになりました。

情報公開という結果は同じでも、やはり目で見て声で聞いて仲間と共有できる生放送という形態が持つ鮮度感と一体感は、コンテンツに対するモチベーションが大きく変わります。

ゲームそのものの更新が続いていることが唯一の救いでしたが、それもこの状況でどこまで続くのか、落胆と不安でいっぱいな日々でした。

 

シャニマスオタクが月ノ美兎と出会った話

そこにふと飛び込んできたのは「にじさんじの委員長がシャニマスやるってよ」的ツイート。

Vtuberというコンテンツや、その中で委員長=月ノ美兎というキャラクターの人気が高いことも知っており、興味はありましたが今までしっかり見るきっかけがありませんでした。

そのツイートを見て「おっ、いっちょ見てやっか」と若干上から目線で視聴を決めた時は、「シャニマスの諸々が止まってしまった今、それくらいしか見るものがなかった」というのが正直な気持ちでした。

それなりにキャラを楽しんでカワイイと言ってくれれば、完全にシャニ欠になった心の暇つぶしくらいにはなる。

何よりこのタイミングで話題性が生まれるのはシャニマスというコンテンツ的にも美味しい。もしかして今動けないシャニマス側が、せめて二周年を盛り上げる為ににじさんじに依頼(V界隈では案件と言うらしい)したのかな?※という邪推すらしていました。

※案件はその後の雑談配信で月ノ美兎さん本人が否定されています。本来忙しいはずの月ノ美兎さんが外出自粛で時間が出来たことによる、ある意味必然のタイミングだったのかもしれません。

 

そして生配信当日。

配信が始まると、その期待は良い方向に大きく裏切られました。

月ノ美兎さんの可愛い外見から繰り出される適度に真面目で適度に変態なリアクションとのギャップは言うまでもありませんが、

既にゲームの内容を知っているはずなのに見てる側を全く飽きさせない持ち前のトーク力と、ツッコミどころ満載の赤裸々エピソード話。

的確にコメントをスルーし的確に拾う、ストレスのない視聴者対話式の進行。

ゲームのシナリオや展開のツッコミどころ、敗退した悔しさを素直に感じたまま発言してくれる共感性。

そして何より、過去のアイドルマスターシリーズ経験者の強みを存分に発揮しし、シナリオやイラストから伺えるライターの工夫やキャラクターの心情の機微を見逃さない、抜群の洞察力。

 

そのプレイを見て、シャニマスオタクの私はこう感じました。

気持ちいい〜〜〜〜!

 

アイドルマスターシリーズの中ではシャニマスは一番の新参でなかなか話題を共有できる人がいない中、それでも全力で可愛がってきた自分の子供を褒められたような、大物Vtuberに認められて嬉しいようなくすぐったさ。

そんなゲームを自分は既にプレイしていたことに対するほんのりとした優越感。

そうだろうそうだろう。シャニマスは面白いだろう。すごいだろう。

1回目の生放送視聴後は、満足度の高さに気持ちがホクホクしていました。

 

シャニマスオタクが今更シャニマスの魅力に気づかされた話

それ以降、月ノ美兎さんは頻繁にシャニマスのゲーム実況を配信し、まんまとハマった私は副業のスケジュールを調整してほぼ毎回リアルタイムで視聴しました。

初プレイの三峰結華の準決勝敗退。樹里プレイ時のW.I.N.G.初優勝と同時の初True達成。ノクチルの新キャラならではな挑戦的コミュ。

委員長はそのひとつひとつに一喜一憂し、アイドルと共にW.I.N.G.を駆け抜けました。

そこにいたのは、キャラとシナリオの解像度に感動し、ゲームの難易度に苦しみ、先駆者に助けられながら悔しさをバネに嵌まり込む、二年前のリリース当時に見たシャニマスPの姿でした。

委員長の初見のレンズを通して改めてじっくり見るシャニマスのコミュは、初めてプレイした時よりも輝いて見えました。

このコミュこんな良かったんだ。これあのイベントの伏線じゃん。このイラストこんなところまでこだわってたんだ。

 

そうだ。

シャニマスはこんなに面白いゲームだったんだ。

 

少し新しいライブや生放送がお休みになっただけで、シャニマスにはこんなにも素晴らしいコンテンツがある。

それらは過去のものではなく、今からプレイする人にはその瞬間が最新で、かつてプレイした人には読み返す度に新しい発見が生まれる、「今」ここにあるものなんだ。

 

ライブの中止が発表された時、声優さんやスタッフさんは言っていました。今は羽を休めているだけだと。また飛び立つその時を楽しみにして、今は待っていてくれと。

私はライブが中止になった自身の悲しみと、スタッフの辛さの悲劇性にばかり目を向けて、その言葉の意味をちゃんと理解できていませんでした。

偶然にも、この一番辛いタイミングで、初見プレイを配信してくれた月ノ美兎さんが、それを気づかせてくれたのです。

 

きっとあったはずの、最高のタイミングと最高のライブ。失われたものはゼロではありません。

でも、シャニマススタッフは今、厳しい環境の中でそれでも前を向いて、失われたもの以上の最高のライブを企画してくれていることでしょう。

こんなコンテンツを作り出してくれた人たちが、こんなに前向きになれるストーリーを送り出してきた人たちが、そう簡単に立ち止まるわけがない。

プロデューサーの自分が立ち止まってどうする。いつまでも感傷に浸っていないで、前を向かなくては。

 

それ以降、沈んでいた気持ちは少し上向きになり、スキップしたり普段使わないカードのコミュを再読したり、未読だったsSRのコミュを読んだり、他のVtuberシャニマス配信を見たり…

シャニマスの魅力を再発見する前向きな気持ちに切り替え、待つことができるようになりました。

ゆっくり羽を休めたことで、パステルより繊細で、モノクロームより純粋で、プリズムより多彩になった、彼女達に再び会いに行くまで。

 

限界まで凹み切ったオタクが月ノ美兎シャニマス配信に出会い、前向きになれた。

当人達は知る由もありませんが、そんな風に救われた、一人のシャニマスオタクの感謝の駄文でした。

 

ありがとう委員長。

ありがとうアイドルマスターシャイニーカラーズ。

 

 

【NOT≠ EQUAL】三峰結華 その②

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この記事は【NOT≠ EQUAL】三峰結華 のネタバレを含む、ひとつ前の記事の続きです。

また、個人的な解釈に基づく感想になりますのでご了承ください。

 

突然ですが、皆さんは自分の担当アイドルとどういう関係になりたいと思っていますか?あるいはアイドルとその担当プロデューサーに、どういう関係になってほしいと思っていますか?

恋人として付き合って結婚?あくまでパートナーとして親愛を貫き通す?娘として成長し旅立つ姿を見届ける?

今回のコミュは、そんな個人個人の想像に委ねられていた「Pドル」という概念に、全力で殴り込みをかけてきました。

ふざけるなよ…それを口にしたら…戦争だろうがっ…

 

 

三峰結華の恋心の有無について

 

先のブログで、私は「三峰結華は失恋した」と表現しました。

実はこれ、振り返って反省しているのですが、表現したかったこととニュアンスが少し異なっていました。

失恋と言うと恋愛関係になりたくて告白してフラれるというイメージが強くなりますが、自分の解釈では、結華はプロデューサーに恋愛感情は持っていても、恋人として結ばれたかったわけではないと考えています。むしろ、そうやって結論を出すことから逃げたかったはずです。

 

過去のコミュを読み返して改めて感じたことは、「三峰結華はアイドルとプロデューサーの関係を、ビジネスや恋愛関係よりもっと上位に位置するものとして考えている」ということでした。

恋愛を低俗と思っているとかそういうわけではなく。ビジネス以上に深い関係でありながら、浮ついた心に左右されない、絶対的な深い絆。

 

色々な三峰Pのお気持ち表明を楽しんでいると、「三峰結華に恋愛感情は全くなかった」という解釈もかなり多く見られます。

おおお…その考えもあったのか…やばい楽しい……

一方で自分はそれを見た上で、そして結華が恋愛の成就を望んでいないと思った上で、「三峰結華はプロデューサーに淡い恋心を抱き、それを自覚していた」と解釈しています。

実はぶっちゃけますと自分は元々Pドル苦手派で、公式のテキストから恋愛要素を感じる度にメタ視点で「こうやってよォ〜、アイドルという立場を忘れてるんじゃねえのってくらいいちゃいちゃさせる癖にアイドルだからくっつける気はないんだろォ?くそッ生殺しにしやがって!その方が儲かるもんなァ!」とドス黒い感情を抱いていました。最低だ…俺って…

そこらへんは最終カプ厨として昇華することで割り切れるようになってきたのですが。

そんな人間が「このアイドルは恋愛感情を持っていた」と解釈するに至った理由は、三峰結華のパーソナリティの認識に寄るところが大きいと思います。

改めて、【NOT≠ EQUAL】のコミュをその解釈に沿って見ていきたいと思います。

 

三峰結華は、アンティーカの調整役として常に位置しています。

摩美々と合わせて「いたずらっ子達」とまとめられることもありますが、結華本人が発端でトラブルメーカーになることはまずありません。愛情や信頼を試すようにわざといたずらをする摩美々とは、少しタイプが異なっています。

盛り上げ役。促す役。もしくは諌める役。そういった役回りが多く、展開の中心に据えられることはほとんどありません。おそらく、和を重んじ他人に踏み込まない、踏み込ませたくない性格からあえてそう動いているのでしょう。

 

そんな結華が、何故プロデューサー対してには自ら誤解させ、恋人ごっこでふざけて波風を立たせるような行動を取るのか。男女の関係と誤解させるような態度で振る舞うのか。周囲に誤解されるリスクと、その対策を考えてまで。

相手をからかう為、信頼するに足るか試す為だけにそんなことをするタイプとは思えません。

私はそこを「三峰結華がそうしたかったから」と解釈しています。

 

予防線は充分張った。その範囲でなら、自分はアイドルとして好きなように振る舞える。

ビジネスの関係とは言えない距離まで近づいても「アイドルのおふざけ」で受け止めてもらえる。

憧れたアイドルとして必要とされ、アイドルとプロデューサーの関係を保ちながら、好きだ嫌いだでくっついたり離れたりしないもっと確かな絆を感じられる。

密かに抱いた淡い恋心を満たしながら、それが完全に満たされることはなく、だからこそ輝いていられる。

そんな確認の繰り返しは、三峰結華にとって、何より幸せな時間だったのではないでしょうか。

 

そんな三峰結華の楽しい時間に変化が訪れます。

「……なんか、結華じゃないみたいだな。」

「ロケ場所の下見」中の何気ない一言から、結華の混乱は始まります。

楽しい時間に浸るあまり、おふざけの延長から逸脱し、アイドル三峰結華から、恋する少女三峰結華の顔を見せるようになってしまっていたのではないか。

そう認識されない安全圏を、プロとしての立場を確保していたはずなのに、自分は失敗してしまっていたのではないか。

 

自分のおふざけがプロデューサーに恋愛として認識されてしまうこと、そしてアイドルでありながら恋愛感情を外に出してしまうことは、三峰結華にとって最大のタブーのはずです。

きっと彼は、それを望まないだろうから。

そして自分も、その先は望んでいないから。

アイドル三峰結華の仮面が剥がれかけた結華は「結華と呼ばないで」とプロデューサーに求めます。

結華と呼ばれるのは嬉しい。でも、今の状態のままそう呼ばれ続けると、自分がどうありたかったのか、どんな関係が正解だと思っていたのか、わからなくなってしまう。

 

雨の中迎えに来てくれたプロデューサーを見て、いよいよ感情の限界に達し、ぐちゃぐちゃになった頭で三峰結華は問います。

「……なんで、そんな……賭けみたいになってまで、探してくれたの……?」

これ、すごい迂闊な質問です。何度も言いますが、これはアイドルとプロデューサーの関係を終わらせることができる質問です。いつもの結華ならこんな質問は絶対にしなかったでしょう。

なのに答えを求めてしまった。知ることの恐怖より、知らないでいることの恐怖の方が勝ってしまった。

プロデューサーは答えます。

「そんなの決まってる」

「プロデューサーだからだ」

自分は、今のぐちゃぐちゃに悩む三峰結華を含めて、アイドル三峰結華をプロデュースする人間だと。

それを「普通のことだな」と、言ってのけたのです。

 

てっててーててててっててー(パーフェクトコミュニケーション)

 

結華の不安は瓦解しました。

自分が用意していた境界線など、最初から認識されていなかった。

眼鏡や髪型を変えて印象が変わっても、優等生アイドルの仮面を被っていても、仮面の裏に隠れた少女三峰結華が垣間見えても。その全てがアイドル三峰結華なのだと。

逸脱なんてしようがない。自分が「三峰結華」である以上、アイドルとプロデューサーの関係は崩れないと。

 

この瞬間。

アイドル三峰結華≠少女三峰結華から、アイドル=三峰結華へ。

戦隊ヒーロー最終フォームの如く、アイドルと少女は融合を遂げ、三峰結華は完全体となりました。

これを「失恋」という後ろ向きな言葉で表現するのはおかしいですね。「進化」です。

 

その後。昼のスカイツリーで出会った少女に、隣の人は彼氏さんなの??と聞かれて、結華はきっぱりと否定します。

そこにいるのは、完璧なアイドル三峰結華。

(ここで「隙のないアイドルだ」と嫌味な言い回しの選択肢を入れたシナリオライター、センスがありすぎます。ちょっと校舎の裏でお話ししようか)

彼氏と勘違いされる展開は、【それなら目をつぶりましょう】との対比を狙っていると思われます。アイドルであることを知らず三峰結華に話しかける店員。恋人のフリは面倒な質問から逃げる為の処世術であり、例え【NOT≠ EQUAL】後の時系列であっても、結華の行動は変わらないかもしれません。しかしその時心の中に抱く気持ちは、別のものに変わっているのではないかと私は思っています。

何をしても、どんな気持ちを持っていても、三峰結華はアイドル三峰結華で、

でもだからこそ、大切な人からの大切な期待に応える為、自分は心の中までアイドルでありたい。

 

ただ。

私は、少女三峰結華は、完全に消えていないと思っています。アイドル三峰結華と融合してもその想いは引き継がれ、心の奥底に鍵をかけて残滓として潜んでいるはず。今回のTrueのように。

それが今後描かれることを期待しています。

錆びついた運命の鍵を回して…

 

あっ、これ私の妄想の話ね!

 

 

熱く語ってきましたが、ここらへん、実はいくらでも個人の解釈に委ねられます。

結華に恋愛感情があろうがなかろうが、結末は「アイドルとプロデューサーとしてやっていく」と決まったのです。本当のところはどうだったのかは明かさず、余韻を残した終わり方。シャニマスの様式美です。

ならば何故その余韻に対し、「三峰結華に恋愛感情は有ったのか?」と、私自身を含む三峰P達は突然お気持ち表明を始めてしまったのでしょうか。

 

 

なお、この問題は記述式とする

 

アイドルマスターシャイニーカラーズ では、いきなり結婚を前提としたお付き合い並にグイグイ来る凛世をはじめとして、灯織、恋鐘、千雪、咲耶……アイドルのプロデューサーへの恋愛感情を匂わせるコミュが続々と登場してきました。(注:個人の解釈です)

かーっ!卑しかーっ!卑しくないのはうちだけばい!

真面目に考えてもシャニマスは割と容赦なく、恋愛要素に片足を突っ込んできます。親愛と呼べるギリギリのラインで。

各アイドルがプロデューサーとお出かけするシーンはデートそのもの、側から見れば完全に恋人同士です。

そのラインを明確に分けるのは「これが恋愛だと確認をしていない」こと。それだけです。

 

私達の関係は恋愛か?という質問は、答えがイエスであってもノーであっても、確認した時点で関係は変わります。

【NOT≠ EQUAL】三峰結華は、それを(アイドルとプロデューサーという言い回しで逃げ道を残しつつ)確認した上で、それでも恋愛感情の有無を個人の解釈に任せるという、とんでもないアクロバティック着地をキメました。

結果は示されました。でも、一番大事な過程はまだ闇の中。ここまで突っ込んでなお、それぞれ読み手の解釈に任せられたのです。

 

しかし三峰Pはそうはいきません。だって、答えが出てしまったのですから。記述式の問題では、過程の式なくして解は出ません。今までの三峰結華の行動には、今回のコミュで結論づけられるまでの思いがあったのです。

あの時…どんな気持ちを抱えていたのか?あのシーンは…どう解釈すべきなのか?

かくして、三峰Pは自分の落とし所を見つけるまで、食事中も風呂中も仕事中も三峰結華のことしか考えられない身体になってしまいました。そして新しいプロデュースコミュが追加される度にそれを繰り返すでしょう。

これが意図されたものかどうかはわかりません。ただ、私は一言言いたい。

シナリオライターは鬼か。

 

 

もし、このブログを読んで「三峰Pは大変だなあ」と対岸の火事を眺めてる他アイドル担当のPがおられるなら、他人事じゃないんだぞと申し上げます。

このシナリオライター、どこから殴ってくるかわかりませんぜ……

 

とはいえ、次の犠牲者は誰かというのは、だいたい目星はつきます。

恋愛要素を匂わせながら、結論を出すことをずっと避けてきた、次回限定が予想されるアイドルといえば、自ずと限られてきますよね。

 

そう、杜野凛世です。

 

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※放クラ担当を兼任している筆者のお気に入りアイドルは杜野凛世です。

【NOT≠ EQUAL】三峰結華

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この記事は【NOT≠ EQUAL】三峰結華 のネタバレを含みます。

また、個人的な解釈に基づく感想になりますのでご了承ください。

 

三峰結華担当(兼放クラ担当)はずれです。

サマーパーティの予告で汚い悲鳴を上げ、この夏輝かせたいアイドルNO.1で嗚咽しながら最高のテンションで迎えた三峰限定。

あまりの情報量というか高低差というか感情量にサンドバッグの気持ちになるですよーしながらコミュを読み終え、溢れ出す感情を抑えきれずブログで吐き出すことにしました。

これ単体で終わる可能性も否めませんが、隙をみては色んなコミュの感想文を書いていきたいです。

 


アイドル三峰結華≠ただの少女三峰結華


さて本題の【NOT≠ EQUAL】。

三峰結華の立ち直りの早さ、Trueのほのぼのしたいちゃつきに、ハッピーエンド感を漂わせて「よかったなあ三峰…」なんてうっかり騙されかけましたが。

あれ…ちょっと待って…これ本当にハッピーエンドか…?これ…受け入れていいやつか…?とボロボロになった理性で疑問を抱き、今一度勇気を出してコミュを読み返してみました。

 

「……なんで、そんな……賭けみたいになってまで、探してくれたの……?」


ガッチガチなギャルゲーマーである私はついアイマスをギャルゲと似て非なるものと捉え、「いつか恋人になること」が公式から提示されることのない隠されたゴールであると考えがちでした。

そして、過去私がアイマスで触れてきたコミュも「パートナー」「これからもずっと一緒」という、「結婚」「恋愛」と錯覚するような言葉を用いて、アイドルとプロデューサー以上の親愛関係、恋愛関係になることを、アイドルもPも望んでいる…

と、キャラへの思い入れの強化、商機などの様々な側面から、作り手側もあえてそれをギリギリのラインで匂わせてきたと受け取っています。(注:個人の感想です)

私は過去のアイマスと、何よりシャニマスのプロデュースコミュで、そのギリギリ感を楽しんできました。


今回のこのコミュと似た台詞がミリオンライブのアイドル、田中琴葉の名言(笑)にあります。

「…あの、優しくしてくれるのは、私がアイドルだから…ですか?」

「はい」と答えればビジネスの関係。「いいえ」と答えれば恋愛関係。どちらにしても、この親愛以上恋愛未満のアイドルとプロデューサーの関係は終わってしまう。

そう解釈してもおかしくない質問ですし、田中琴葉も、そしておそらく今回の三峰結華も、その意図を含んでいることを認識した上で質問したでしょう。


これにシャニマスのプロデューサーははっきりと答えます。

「そんなの決まってる」

「プロデューサーだからだ」


この時。

「ただの少女」三峰結華は失恋したと、個人的には解釈しています。


えらいことです。

アイマス初代以外、明確にアイドルと結ばれること、アイドルが失恋することをずっと避けてきたアイマスで、

ドラえもん時空で年を取ることも、トップアイドルとしてゴールを迎えることもなく、エンディングがないのをいいことに、アイドルとプロデューサーの関係を明らかに超えた疑似恋愛のいちゃいちゃに楽しんでいた自分に、

どんなにあざといコミュやテキストをお出しされてもできる限り親愛の延長線上で解釈しようとしていた自分に、

よりにもよって最新作の担当アイドルの限定コミュで、アイドルが失恋する姿を見せつけられる。


こんなこと、こんなことがあっていいのか……何故、どうして……はおおぉぉ……

 

 

 

アイドル三峰結華の在り方

 

失意のどん底に叩き落とされた気持ちを奮い起こし、もう一度【NOT≠ EQUAL】コミュを読んでみます。

「担当アイドルに心配なことがあるんだったら、会って話を聞かなきゃだろ?」

「その為に必要なことならなんだってやるさ」

残酷なほど自信を持って答えるプロデューサーの言葉に「ビジネスでしかない関係」という後ろ向きな要素はひとつもありません。

アイドルとプロデューサーという関係は何物にも代え難い素晴らしいもの。

そう考えているプロデューサーには、恋愛関係を否定する意図は少しもなかったでしょう。

ここがシャニマスPのずるいところです。アイドルの女性らしさに人並みにドキドキする癖に、自己評価が低いので自分がアイドルと恋愛関係になるという考えが微塵もありません。一度刺されればいいこのタラシ野郎。


しかし三峰結華は違います。

明確に描写されたわけではありませんが、恋愛感情を自覚してしまった三峰結華は、自分と彼は「アイドルとプロデューサー」の関係であり、「恋愛関係ではない」と。

おそらくは、そうはっきり解釈しました。


アイドルである以上、プロデューサーは自分を見つけてくれる。

それは裏を返せば、アイドルでなくなれば、ただの少女になれば、プロデューサーには見つけてもらえなくなるということ。

「その時確かに……怖いと思った」

コミュ冒頭から、三峰結華はそれを怖れていました。

プロデューサーに恋愛を否定する意図はないと、そもそも恋愛という関係に思い至っていない上での肯定だと、三峰結華は理解していたと思います。

あるいは月岡恋鐘であったなら「そしたらうちがば〜りばりのトップアイドルになって、そのあとプロデューサーを迎えにいくけんね〜!」くらい言ってのけるかもしれません。(いや割とこがたん奥手だし無理かな…)

しかし未だに「臆病、ビビり、意気地なし」と自己評価が低いところのある三峰結華は両獲りごっつぁんですと前向きに考えることは難しいはずです。

何事も器用にこなすイメージがある彼女ですが、それは傍観者でいるというある意味「逃げ」のスタンスを取って俯瞰しているからこそ。

追っかけまでするほど入れ込み憧れたアイドルと、道化の仮面を被ることで真正面から向き合うことを避けてきた恋愛を、両立できるほど器用ではないと思います。

それならば、自分の道は彼の望む「アイドル三峰結華」ひとつであると。彼女はそう答えを出しました。


恋愛よりもっと尊い関係。

必要とし、必要とされる大切なパートナー。

その関係を今後も続け、プロデューサーの期待に応えるべく、

ただの少女三峰結華は芽生えかけた恋心に終わりを告げ、前を向き、アイドル三峰結華を貫き通すことを決めます。

強迫観念に近い、でももっと前向きな何か。辿り着いた、二度目の正解。

そんな決断を、プロデューサーと言いつついちコミュ読者でしかない自分が、受け入れて応援する以外できるでしょうか。

 


シャニマスPたのむ…結華を…結華を幸せにしてやってくれ……

 

 

 

ちなみに。

上記では「ただの少女」三峰結華は失恋したと書きましたが、

果たしてアイドル三峰結華は、プロデューサーへの恋心を本当に失ったのでしょうか。

その答えはやはりカードにあります。

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「NOT≠ EQUAL」思い出リンクアピールは注目度が低いほど効果UP。

 


誰にも見つからないように隠した心の一番奥底。

[secret]の気持ちを思い出す時、アイドル三峰結華は最高に輝くのです。